第14番
寿福山 梅岩寺 黄檗宗
平成21年 2月1日
場所はだいたいわかってる・・・つもり。
家から外環状線R170を八尾に向かう。
順調に信貴山口駅に着く。
なんかうれしい。
へえ、信貴山口かー
駅からちょっと考える。
迷うほどではなかったけど、最短距離ではなかったかな。
河内西国巡礼ガイドでは、たくさんの仏様が紹介されているけど
今回はパス
回る事だけに集中
開基は聖徳太子 開山は隠元禅師
隠元禅師は黄檗開祖。
徳川幕府に明から招かれた人。
なんか、すっごいのねえ。
まあ、これぐらいで先に進む。
第15番 徳寳山 大通寺 融通念仏宗
15,16,17,18番 近くにある。
一気に行ってしまおう。
特に15番の大通寺と教興寺はお隣さん。
もともとは、広大な教興寺の一坊、塔頭寺院だったのが
戦火に遭うなど、荒廃していたときに
融通念佛宗寺として大通上人によって再興されたものだから。
お染徳兵衛夫婦塚
伝説では、お初は教興寺の出身で、曽根崎の郭の年季が
あけてからこの地で徳兵衛と幸せに暮らすはずだったのに
幸薄く、2人とも早死にしてしまう。
苦労を重ねてやっと夫婦になれたものをと
教興寺の浄厳和尚が2人を不憫に思い、碑をたて
手厚く回向する。それで誰言うとなく「夫婦塚」
「縁つなぎの墓」と語り伝えれ、縁結びの願いのために
参詣するものも多かったと言う。
そのころ
近松門左衛門が、そんな二人の話を浄厳和尚から聞き
脚色し、大阪竹本座にて上演され、世に広く知られる事に
なったのが浄瑠璃の傑作中の傑作「曽根崎心中」なのだとか。
第16番 獅子吼山 教興寺 真言律宗
平成21年2月1日
聖徳太子の物部守屋征伐の後、秦川勝(誰やねん)が
太子の発願をうけ、高安の里に、
仏教を始めて興すという意味の寺「教興寺」を建立。
大阪の四天王寺もまたこの同時期に
建立されたと伝えれる。
高安山麓一帯の広大な寺域に
七堂伽藍の建立されていたことが多くの
地名から伺われる
明治初年の神仏分離令による
廃物毀釈が寺院や仏像に与えた影響は
甚大で、教興寺もその例外ではありません。
今の教興寺は、往時の大寺院の面影はありません。
往時教興寺の堂で残っているのは
大通寺、梅岩寺、また梅岩寺の隣の岩戸神社は
明治期までは、当寺の奥の院だったもの。
近いわけよねえ。
第17番 大覚寺 法蔵寺 曹洞宗
信貴山口駅から緩やかな坂道を約10分程のぼると、
すっと視界が開ける
「境内地に、ふしぎな縁起を持つ水脈、神冷泉が湧き」
とあるけど、みつけられなかった。聞けばよかったのだろうけど
聞かなかった。
近くに、円墳もあるとの事だったが、確認しなかった。
でも、本堂の天井画、狩野徳水による壮大な龍の絵は
本堂にあげてもらって、しっかり見てきた。
他にも襖絵やら何やら、絵いっぱい。
第18番 護法山 神宮禅寺 臨済宗
住宅地の中で、見つけにくかったけど、トトロの木が目印。
↓ 地元の子供達が、そう呼んでいるそうな。
いいなあ、うちの子供たちも きっと喜んで遊んだだろうね。
今回は、一気に5ヶ所。
ゆっくり走りと歩き。次はちょっと離れてるのよねぇ。
でも、歩き走りで行きたいな。
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