叡福寺  平成17年9月19日


2.6キロ、地図通り、信号のある道に出て、通法寺、太子の交差点、
交差点を左にとって、後はまっすぐ。
最近、よその市へ行ったら探してるものがもう一つ。
マンホールの蓋。ここでも見つかった。さすが、太子の町って感じ。
集めてるあの人に送ろうっと。

叡福寺の石碑は見つけやすかった。
お寺の入り口の道路端にこんな↓やもん。

     叡福寺 到着 14:20
















 聖徳太子がこの地に廟を造ることに決め、推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。
翌年、太子の生母間人(はしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、
更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手(かしわで)姫とが同時期に亡くなり、
この同じ墓に葬られたとされている。結果、廟は三骨一廟の陵墓になった。

先を急ぐけど、お墓参りはしなくちゃねーと奥にある陵墓まで。
大きな駐車場もあり観光バスも停まっていた。
1万円札ではお顔拝見できなくなったけど、聖徳太子人気は根強いのかも。
厩戸皇子、17条憲法、法隆寺、小野妹子の遣隋使、10人の人の喋るのを聞き分ける。
ホンとは、どんな人だったのかな。

さあ、次は妹子さんのお墓だ。来た道をまだまだまっすぐだね。
次 小野妹子の墓へ

みどリ100へ        ホームへ