犬鳴山の渓谷  平成19年12月9日

11時過ぎ、和泉葛城山展望台を後にする。お昼にはまだ早いし、じっとしていたら寒い
行く道は紀泉高原スカイライン、舗装道のゆる〜い下り阪。
走れる走れる。
五本末レストラン。ミカンも売ってるけど今日はやめておこう。
11時50分、お昼ごはんも休憩もしない。まだ疲れてないもん。

12時

あっ、階段
しばらくこうした急な階段が続く。
よかったー、帰り道で。
こっち側から登ったら大変やったろうな。


12時17分 犬鳴山隧道
早く抜けよう。カーブ曲がったら出口が見える。短いからよかったー。

12時21分 案内板
うれしいなあ。もう着くぞ
案内板横の階段を下っていくと犬鳴山七宝滝寺

木立の中、石垣の上に経つ舞台造りの本堂、不動堂、観音堂などが点在する。
沢に沿って小さな小橋や苔むした岩、大小の滝があり、変化に富んだ景色が満喫できる。

犬鳴山の名前の由来のワンちゃん像



象宇多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、
紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で
一匹の鹿を追っていました。
猟師の傍の大樹に大蛇がいて、猟師を狙っていましたが、
猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、
猟師の犬は愛犬は急にけたたましく吠えだしました。
犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、
腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。
犬は切られながらも大蛇めがけて飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、
猟師を助けて大蛇と共に倒れました。

事の意外さを知った猟師は、
自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、
弓を折って卒塔婆とし、そして七宝滝寺に入って僧となり、
永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、
「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と
勅号を与えたと伝えられています。

 

12時47分 石碑撮影 達成100ヶ所  厳密に言えばまだ残ってるんだけどね。

ここをラストにしたのは温泉があるから。入ってから帰らねばねえ。
何軒かある旅館も見たけど、いくらか玄関先じゃわからないし、入り易かった温泉センターへ。
840円払って中へ。
お湯はナトリウムー炭酸水素泉。ぬるっとしたお湯でお肌つるつるになった、様な気がする。
広くはない。どっちかというと狭いかな。小さい子供2人と若いお母さんと一緒だった。もう1組来たらいっぱいだ。
時間おを気にしながら湯船につかる。つかっているとすぐにのぼせてしまう。水風呂がないので冷ませない。
バスの時間は13時半。これぐらいでちょうどよかったかな。
100m程歩いたところにあるバス停へ行き待っていたバスに乗り込む。
ここでやっとお昼ご飯。甘い菓子パンとエビアンを飲み干す。あれま、チョコも買ってる。勢いづいてこれも食べる。
お腹いっぱいになって、動き出したバスの揺れに合わせてウトウト。

ウトウトしながらも外を見たら、水呑み地蔵。そうそう11月17日に連れと来た稲倉池の時に通った道。
同じ道通って、あの日降りた日根野駅通り越して泉佐野駅へ。

早くに家に帰れるな。帰れるけどー。どうしよう。南海線で宿題残してるなあ。
行こう!和泉穴師神社!あの真っ黒心霊写真のままじゃあかんやろ。
          

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