壷井八幡宮の楠  平成17年9月19日

18日、日曜日一日、家。
ハッピーマンディ、敬老の日の月曜日、今日。
みんなあれこれ世話を焼く年でもなくなった。
いい年した連れ合いの暇の過ごし方まで私が心配せんでもいいだろう。
只、ラグビー部の中学生がお腹を空かせて帰ってくるのだけが気がかり。
朝はご飯を食べ行ったから、昼はパン系でいいね。
ちゃんとしたのは、また焼くから今日はホットケーキ食べておいテ。

10:00過ぎ
家を出る。今日もちょっと遅くなっちゃったなあ。
るーとMapで見たら久宝寺から最初の目的地まで9.6キロ。
近いジャン。
そろそろお彼岸も近いし、お墓参りマラニックにしよう。
みどり百の資料に唯一「お墓」と載っているのが、「小野妹子のお墓」
近くに2ヶ所。
ちゃんとコースも決めてる、地図も刷った。
久宝寺から、最初の壷井八幡宮まで9,6キロ。次の頴福寺まで2,6キロ。
そこから妹子のお墓まで2,7キロ。これなら往復できるかもーん♪

久宝寺まで中環を行って・・・
行かなかった。いつも走らない北向き側を走ったのが、誘惑の元。
金物団地左折。藤井寺、羽曳野方面・・こっち行くんだから、いいでしょ。
いいけど、また道草の予感。
そう、すぐにこんもりお社あるらしく雰囲気、地名も宮町。
穴太神社?聖徳太子の生母?
次行く場所は聖徳太子のお墓だったよなあ。とすれば、お参りしていかなあかんなあ。

当社は旧若江郡にあって、安康天皇の設けられた御名代部の一つ穴穂部の地にして、
聖徳太子の生母、間人穴穂皇后の誕生地であり、成人された地と言われる。 
間人穴穂皇后の母親は小姉君と言い、蘇我稲目の子とされるが、
小姉君との呼称は珍しいことで、養女ではなかろうか。
それは京都府竹野郡丹後町(現在は京丹後市)に間人と言う地名と伝承が残り、        
間人皇后は争いを避けて当地に亡命、母の故郷か自分の故郷のはず。海部氏の血をひいているのだ。
他の間人穴穂皇后の誕生地は奈良県天理市田町の穴穂神社付近で、旧地名は穴穂である。
当地は物部氏の拠点、八尾、丹後、天理、いずれも海人族の色彩の濃いところ。
                               穴太神社     10:46

あった、あった。覚えてる!丹後七姫のチェックポイント、間人皇后像。
つながった、つながった。丹後と八尾がつながった。七姫とみどり百がつながった。

さっきから「八尾空港」の標識。
長い事この辺りに住んでて、八尾空港行った事ないもんなあ。
ものはついでや、今日行かなな。
今走ってる道は旧の2号線ってなってるなあ。
車多いなあ。
暑いなあ。
やっと着いた!  えーーー、もう11:30
でも ここまで来たんだったら飛行機見んことには始まらんね。
こんなところにあったんや。こんな街中にあったんや。よかった。八尾空港も確認できた。

12:00 1ヶ所目もまだなのに、もう、こんな時間!?

暑い!
もうそろそろ涼しくなったっていいんじゃないの?
この走ってる道どこまで行くんや?と思いながら横に目をやると土手が見える。
あっちに行こうっと。
そっかあ。大和川のすぐ横走ってたんや。
でも、やっぱり秋なんだなあ。
土手には彼岸花。

川沿いだと少しは涼しいかな。
12:30
もう少し急がなくちゃね。

大和川から石川。
で、橋をいくつ渡るんだっけー
地図を見い見い、のろのろ進む。

コースは完璧だけど、
足が・・足が・・・
がんばらなくちゃ。
こんなところで、もう歩いてて目的地に着くかしら。
着くのよね。1歩足を前に出しさえすれば前へ進める

川沿いは、車道に比べたら涼しいんだろうけど、自動販売機がない!
喉渇いたあー。
自販機、自販機、自販機!!!!!
川沿いから、車道へと出て行く。あった!あった!あったあ。
500ccのペットボトルを一気に飲み干す。
フ−っと一息ついて前方に目をやれば、「壷井八幡宮」の看板が。
13:51 もう2時やんかー

河内源氏発祥の地として知られる壷井に、
頼義が建立1701年に再建したもの。
静かなたたずまいは、この地ならでは。


樹齢約千年。
パンフレットによっては、
「樹齢800年」というものも。
800年は約千年か・・・

次の叡福寺まで2,6キロ。
歩いて行ったって30分で行けるよねえ。
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